おはようございます。
「つながれ わっか◎」のSNS担当、のどかです。


今回は少し真面目なお話……*
といっても、私が話すと脱線しやすいので、流し読みで大丈夫です!


さて、
私達「つながれ わっか◎」は障害者の方を中心に作家様に集まって貰っています。
この取り組みは私自身、鬱などの精神疾患を持っており、
同じような方達の励みや応援、そして物を作る喜びを通じて社会への参加を促せたら、という思いで行っております。

他にも、障害を扱う上で、障害や健常など関係なく、
この人間社会が「多様性」を認め、皆さんが息のしやすい社会作りの基盤になればとも考えております。
その関係でLGBTQの作品やイベントにも参加し、啓発活動に努めております。



今回お話させて頂くのは、
「障害者と健常者について」

この一点に的を絞り、お話させて頂こうと思います。


皆さんは障害者、と聞くとどのような方を思い浮かべますか?
私は小さい頃、自身が発達障害など分からなかった時、「障害」という意味すらしらなくて、
学校でも車椅子の人がいても、あまりよく分かりませんでした。
それでも学校側からは「助けてあげてね」といった指導で、「助けてあげなくてはいけない存在」だと思っていました。

しかし果たしてそれは正しいのでしょうか?

確かに障害があると助けが欲しいのは事実です。
しかし、障害を持った方でも、「自分でやり遂げたい」といった意志を持つ方も大勢おられます。
その意志を無視して、助けを求めていないのに、手を貸す、といった行為は
当事者にとっては、辛いものなのかもしれない、と私は思います。

私自身、鬱を持っており、わかりやすく等級でいいますと2級です。
援助なしには生活が行いのが正直なところです。

しかし、それでも「自分で頑張りたいこと」がたくさんあります。
なのに助けて貰うと、どうしようもなく自分が惨めな思いをすることも多々あります。

以前、スーパーを歩いていて、家族がお手洗いにいったのです。
その際、私は待っていたのですが、
とある女性が私の鞄についている「ヘルプマーク」を指さして、
「どうしましたか?」と声を掛けて下さいました。
それに対し、「大丈夫です」と答えると女性は「え。でも」とためらいました。
結局は家族が帰ってきて、なんとかなったのですが、こういった事が時々おこります。

女性の声かけを有り難い、と思わねばいけないと思う反面、
自分がそこまで一人で出来ない人間だと思われている恥ずかしさ。
様々な思いが頭を駆け巡りました。

確かにヘルプマークは援助を必要とするマークです。
ですが、助けを求めていない時に助け、というのは違う気がします。

声かけは大変有り難いです。
ですが、こういった当事者の気持ちがあることも知って欲しいな、と思います。


「ヘルプマーク=援助が必要な人」

というよりは、

「何かあった際、助けて欲しい場合があります」

という認識で居てもらえれば助かります。



ヘルプマークのポスターなどを見ますが、
明らかに、「援助」という言葉が多すぎて、ヘルプマークをつけることを躊躇うことがあります。

確かに私達は助けてもらわねば何も出来ない「場合」があります。
でもそれは、「私達が助けを求めた時」でも、遅くは無いのです。

私達は助けを求める判断が遅いですが、
だからこそ、自分で判断し、自分から助けを求める力をつけていかねばなりません。


なので、
「障害者=助けるのが当たり前」や「障害者=助けて貰うのが当たり前」
といった認識をもう一度考えて行きたいですね。



それでは今回はこのあたりで。

「のどか」