つながれ わっか◎

「つながれ わっか◎」のblog。 作品情報やイベントについてなどを更新していきます◎

障害について


こんにちは。
SNS担当、のどかです。

最近気圧の変化、季節の変化でジェットコースター並の気分変調、体調変化で
荒れ狂う毎日です、どうもこんにちは。


さて、最近考えることを少し書かせて頂きます。


時々、「そのままの自分を見て欲しい」という方がおられます。
いえ、いきなり申し訳ございません。

私も昔はそのタチでして、障害を隠すこともなく、
周りに無理難題を言い、我儘し放題でした。

「そのままの自分」=「素直な自分」とは少し違うんだなあと最近(!?)感じます。


そのままの自分を愛して欲しい、という人間の欲求などは理解出来ますが、
そこで考えることは「相手にも都合や理念がある」ということですよね。

自分が我儘を言って、聞いてくれないからといい、
自分には障害があるからといい、意見を聞いて貰う、などは違うかと思います。


例えば、
不安障害で、相手に連絡をしてすぐに返事が返ってこなければ不安になり、
怒濤のメールを送る方がおられますよね?

それは確かに障害であり、一種の症状なのですが、
相手の都合を考えてみると、トイレかもしれない、外出中かもしれない、仕事中かもしれない、等思い当たるだけで3つはあがります。

「既読スルーをするな」という言葉がネットで一時期話題になりましたが、
「相手に都合がある」ということを認識出来にくい世の中なのかな、と少し思いました。

私の場合は既読スルーというよりは、「後で返信しよう」「今は体調が悪いから」と後回しにします。
これは一種の私自身の防衛であり、相手へ八つ当たりしない手段でもあります。

それらを考えても、我慢出来ない、という症状を持つ方がおられ、
その症状、病気で、
人間関係が悪化し、人が離れる、それが病気の怖いところですね。


なので、こういった症状をご自身で理解出来た場合は、
とても凄いことだと思います。
一種の障害からの解放であり、障害で動くものではなく、
理性で動ける、ということですから素晴らしいですよね。

でも理性で動くのは難しいことです。
なので、信頼出来る家族やパートナーにだけでも、
「自分はこういった症状がある」と打ち明けるのも良い手段ですね。

でもそこで「全て理解してもらえている」とは思わないことが大切です。


では今回はこの辺りで! 

おはようございます。
「つながれ わっか◎」のSNS担当、のどかです。


今回は少し真面目なお話……*
といっても、私が話すと脱線しやすいので、流し読みで大丈夫です!


さて、
私達「つながれ わっか◎」は障害者の方を中心に作家様に集まって貰っています。
この取り組みは私自身、鬱などの精神疾患を持っており、
同じような方達の励みや応援、そして物を作る喜びを通じて社会への参加を促せたら、という思いで行っております。

他にも、障害を扱う上で、障害や健常など関係なく、
この人間社会が「多様性」を認め、皆さんが息のしやすい社会作りの基盤になればとも考えております。
その関係でLGBTQの作品やイベントにも参加し、啓発活動に努めております。



今回お話させて頂くのは、
「障害者と健常者について」

この一点に的を絞り、お話させて頂こうと思います。


皆さんは障害者、と聞くとどのような方を思い浮かべますか?
私は小さい頃、自身が発達障害など分からなかった時、「障害」という意味すらしらなくて、
学校でも車椅子の人がいても、あまりよく分かりませんでした。
それでも学校側からは「助けてあげてね」といった指導で、「助けてあげなくてはいけない存在」だと思っていました。

しかし果たしてそれは正しいのでしょうか?

確かに障害があると助けが欲しいのは事実です。
しかし、障害を持った方でも、「自分でやり遂げたい」といった意志を持つ方も大勢おられます。
その意志を無視して、助けを求めていないのに、手を貸す、といった行為は
当事者にとっては、辛いものなのかもしれない、と私は思います。

私自身、鬱を持っており、わかりやすく等級でいいますと2級です。
援助なしには生活が行いのが正直なところです。

しかし、それでも「自分で頑張りたいこと」がたくさんあります。
なのに助けて貰うと、どうしようもなく自分が惨めな思いをすることも多々あります。

以前、スーパーを歩いていて、家族がお手洗いにいったのです。
その際、私は待っていたのですが、
とある女性が私の鞄についている「ヘルプマーク」を指さして、
「どうしましたか?」と声を掛けて下さいました。
それに対し、「大丈夫です」と答えると女性は「え。でも」とためらいました。
結局は家族が帰ってきて、なんとかなったのですが、こういった事が時々おこります。

女性の声かけを有り難い、と思わねばいけないと思う反面、
自分がそこまで一人で出来ない人間だと思われている恥ずかしさ。
様々な思いが頭を駆け巡りました。

確かにヘルプマークは援助を必要とするマークです。
ですが、助けを求めていない時に助け、というのは違う気がします。

声かけは大変有り難いです。
ですが、こういった当事者の気持ちがあることも知って欲しいな、と思います。


「ヘルプマーク=援助が必要な人」

というよりは、

「何かあった際、助けて欲しい場合があります」

という認識で居てもらえれば助かります。



ヘルプマークのポスターなどを見ますが、
明らかに、「援助」という言葉が多すぎて、ヘルプマークをつけることを躊躇うことがあります。

確かに私達は助けてもらわねば何も出来ない「場合」があります。
でもそれは、「私達が助けを求めた時」でも、遅くは無いのです。

私達は助けを求める判断が遅いですが、
だからこそ、自分で判断し、自分から助けを求める力をつけていかねばなりません。


なので、
「障害者=助けるのが当たり前」や「障害者=助けて貰うのが当たり前」
といった認識をもう一度考えて行きたいですね。



それでは今回はこのあたりで。

「のどか」

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